トップコラムちょっとドキドキ在宅医療 在宅医療の「とき」

ちょっとドキドキ在宅医療 在宅医療の「とき」

2024-09-04

著者の在宅医療の初体験はブルックリンだ。1980年代末、旧厚生省からブルックリンにあるニューヨーク州立大学の家庭医療学科(ファミリープラクティス)に留学したときのことだ。ブルックリンのユダヤ人の高齢女性がバスルームで転倒して大腿骨頸部骨折を起こした。この女性のアパートを指導医やレジデントと一緒に訪問した。まず最初に見たのが転倒したバスルームだ。一緒に同行した指導医が、「見ろ、この暗いバスルームを!あのくらい電球を交換するだけで、1万ドルする人工骨頭置換術を節約できる。50セントの電球と人工骨頭のどちらが安い?」。 こうして家庭医療や在宅医療を学んで、「日本に帰ったら在宅医療をやりたい!」と意気込んで帰国した。しかし思惑は全くはずれる。当時、日本医師会が厚労省の主導する「家庭医構想」に猛反対をしていた。このため帰国後、とても「米国で家庭医療を学んできました」などとは口に出しても言えず、留学経験も全く活かされなかった。  しかし2020年より横須賀市にある日本医療伝道会衣笠病院に赴任して以来、週1回ではあるが、在宅診療を再開した。在宅医療は入院医療や外来医療とは全く異なる。一言でいえばこれまで慣れ親しんできた病院や外来の医療と比べれば、まったくの「アウェイの医療」だ。在宅医療を再開した最初のころは戸惑いとドキドキの連続だった。これが本連載のタイトル「ちょっとドキドキ在宅医療」のワケだ。  在宅では患者さんや家族が中心だ。そして医療は生活のごく一部だ。ブルックリンに留学していたときメディカル・ソーシャルワーカーのルースがいつも言っていた言葉を思い出した。「純粋に医学的な問題なんでありやしない!」。あるのは医療、介護の複合問題、地域のなかでの複雑な社会的問題ばかりである。  でも在宅医療のいいところにも改めて目覚めた。入院や外来では見ることのできない素顔の患者さんや家族と出会える。また生活の場でじっくりお話を聞く時間もある。また病院の外に出て四季の季節のうつろいも肌で感じることができる。ブルックリンの留学から35年を経て横須賀で再び出会った在宅医療である。  衣笠病院では毎朝の礼拝がある。礼拝の中で出会った次の聖句が好きだ。「天(あめ)が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある(旧約聖書・伝道の書、3章1節)」。まさにわたしの「在宅医療」にも時があったのである。 社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事 よこすか地域包括ケア推進センター長  1949年神奈川県川崎市生まれ。1974年新潟大学医学部卒業、1978年新潟大学大学院医科研究科修了後、国立横浜病院にて外科医師として勤務。同病院在籍中1986年〜1988年まで当時の厚生省の留学制度でニューヨーク州立大学家庭医療学科留学。1988年厚生省関東信越地方医務局指導課長。1990年国立療養所村松病院副院長。1994年国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長。1995年国立長野病院副院長。2006年より国際医療福祉大学三田病院副院長・国際医療福祉総合研究所長・同大学大学院教授、2013年4月より国際医療福祉大学大学院教授(医療経営管理分野責任者)、2010年より国際医療福祉大学クリニックで外来診療にも携わる。 Dr.武藤の在宅医療にまつわる経験エピソードをコラムにして配信!
武藤正樹

著者

武藤正樹

社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ相談役

社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事 よこすか地域包括ケア推進センター長 1949年神奈川県川崎市生まれ。1974年新潟大学医社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事 よこすか地域包括ケア推進センター長 1949年神奈川県川崎市生まれ。1974年新潟大学医学部卒業、1978年新潟大学大学院医科研究科修了後、国立横浜病院にて外科医師として勤務。同病院在籍中1986年〜1988年まで当時の厚生省の留学制度でニューヨーク州立大学家庭医療学科留学。1988年厚生省関東信越地方医務局指導課長。1990年国立療養所村松病院副院長。1994年国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長。1995年国立長野病院副院長。2006年より国際医療福祉大学三田病院副院長・国際医療福祉総合研究所長・同大学大学院教授、2013年4月より国際医療福祉大学大学院教授(医療経営管理分野責任者)、2010年より国際医療福祉大学クリニックで外来診療にも携わる。

武藤正樹の著書

病院経営MASTER VOL 9.1

病院経営MASTER VOL 9.1

れんけあ広場のコラム「ちょっとどきどき在宅医療」が一冊に!在宅医療の実践物語。

Amazonで見る