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ちょっとドキドキ在宅医療 精神科患者の訪問診療
2024-04-12
一度、都内で精神訪問看護に同行したことがある。アパートのドアを開けると、なんと玄関に出刃包丁がヒモで吊り下がっている。訪問看護師さんは「気にしないでください。『拒否』のサインですから」と、事もなげに部屋に入っていく。これにはビックリした。
今回の診療報酬改定のトピックスの一つは「精神科入退院支援」の新設だ。精神科病院から退院を希望する患者の地域移行を支援することを評価する。
さて我が国の精神病床数は約30万床、先進各国の中でも人口当たりの精神科病床数は世界一である。またその在院日数も270日と、先進各国の20日以下に比べて世界で最も長い。その経緯を見ていこう。日本の人口当たりの精神科病床数は1960年以降急速に増え、70年以降その伸びは止まったとはいえ現在なお、人口千人当たり約2.7床を維持している。しかしOECD(経済協力開発機構)に加盟する欧米先進国は1960年から70年代にかけて大幅に精神科病床数を減らし、今や人口千人当たり1床以下となっている。
実は欧米先進国では1970年代に精神科医療改革が果敢に行われた。それまでの精神科患者を病院や施設に隔離するという政策から、地域にナーシングホームやグループホーム、地域活動拠点施設など精神科患者の受け皿をつくり患者の地域移行を促進したのだ。こうした政策で有名な例がイタリアだ。イタリアでは精神科医フランコ・バザーリアの「自由こそ治療だ!」という呼びかけのもと、精神科患者を病院での隔離と身体拘束から次々と解き放った。そしてついに入院医療を行う精神科病院を閉鎖するというバザーリア法が1978年に成立する。この例のように1970年代の欧米では精神科患者の隔離政策から地域への移行政策へと大きく転換したのだ。
ところがわが国では1960年代中ごろから欧米先進国とは全く逆の方向に動き出す。きっかけの一つは1964年に起きたライシャワー事件だ。大の親日家だった駐日米国大使のエドウイン・ライシャワーが統合失調患者に刺されて重傷を負った。この事件を契機に「精神科患者を野放しにするな」と言う世論が巻き起こり、患者の隔離政策が進行する。
しかしそうした中でも2000年以来、わが国でも徐々に精神科患者の長期入院の是正と地域移行の改革が進みつつある。こうした流れの中での今回の「精神科入退院支援」である。その要件は退院困難な要因を有する精神科入院患者であって、在宅での療養を希望とする者に対して入退院支援を行った場合に評価する。同加算の具体的な施設基準としては、入退院支援及び地域連携業務を担う部門が設置されていること、入退院支援及び地域連携に係る業務に関する十分な経験を有する専従の看護師または専従の精神保健福祉士が配置されていることだ。
精神科改革は日本の医療の中で最大かつ最難関の改革だ。一度、東京の郊外の精神科病院を見学した。そのとき案内してくれた院長の言葉が今でも忘れられない。「見てくださいこの穏やかな院内を、患者さんは穏やか、家族も安心、地域も安心で三方良しだ。患者を地域にもどすなんて考えられない」。思わず「本当にそうですね」と言ってしまった。
日本版バザーリア改革は道遠しだ。しかし今回の精神科入退院支援のように現場の改革で出来ることから始めてはどうか?それには精神科患者を地域見守る精神科訪問看護、それに連携した精神科訪問診療を普及させたいものだ。
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社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事 よこすか地域包括ケア推進センター長
1949年神奈川県川崎市生まれ。1974年新潟大学医学部卒業、1978年新潟大学大学院医科研究科修了後、国立横浜病院にて外科医師として勤務。同病院在籍中1986年〜1988年まで当時の厚生省の留学制度でニューヨーク州立大学家庭医療学科留学。1988年厚生省関東信越地方医務局指導課長。1990年国立療養所村松病院副院長。1994年国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長。1995年国立長野病院副院長。2006年より国際医療福祉大学三田病院副院長・国際医療福祉総合研究所長・同大学大学院教授、2013年4月より国際医療福祉大学大学院教授(医療経営管理分野責任者)、2010年より国際医療福祉大学クリニックで外来診療にも携わる。

著者
武藤正樹
社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ相談役
社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事 よこすか地域包括ケア推進センター長 1949年神奈川県川崎市生まれ。1974年新潟大学医社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事 よこすか地域包括ケア推進センター長 1949年神奈川県川崎市生まれ。1974年新潟大学医学部卒業、1978年新潟大学大学院医科研究科修了後、国立横浜病院にて外科医師として勤務。同病院在籍中1986年〜1988年まで当時の厚生省の留学制度でニューヨーク州立大学家庭医療学科留学。1988年厚生省関東信越地方医務局指導課長。1990年国立療養所村松病院副院長。1994年国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長。1995年国立長野病院副院長。2006年より国際医療福祉大学三田病院副院長・国際医療福祉総合研究所長・同大学大学院教授、2013年4月より国際医療福祉大学大学院教授(医療経営管理分野責任者)、2010年より国際医療福祉大学クリニックで外来診療にも携わる。
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