ドクターゴンのれんけあコラム 連載⑫ ~フィラリア後遺症~
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2022-05-02
地域医療では、都市部で診ることの無い疾患を抱えた患者さんを受け持つことがある。私が生まれた1963年の宮古島では、蚊が媒介するフィラリア感染者が多かった。上水道の敷設と父が始めた撲滅運動が成功し、新規感染者はゼロとなって久しいが、平成9年の…
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2022-05-02
地域医療では、都市部で診ることの無い疾患を抱えた患者さんを受け持つことがある。私が生まれた1963年の宮古島では、蚊が媒介するフィラリア感染者が多かった。上水道の敷設と父が始めた撲滅運動が成功し、新規感染者はゼロとなって久しいが、平成9年の…
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2022-03-30
訪問診療を始めて半年経った頃には、受持ち患者の数が50人を超えた。その頃までは全てを自分1人でこなし、多忙を極めるようになっていた。
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2022-02-22
診療所の自動ドアが開く音を聞くたび、大学病院で着慣れた詰襟の白衣を羽織って玄関に出向かえた。しかし、殆どは遠い親戚や両親の知人達だった。
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2022-01-17
名の売れた大学病院の救命救急外科医だった私は、関連病院での当直や手術で結構な報酬を得ていたが、開業に足りるまとまった資金は一切無かった。沖縄の地方銀行が融資してくれた800万円が全てだった。
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2021-11-18
当時宮古島で最大の人口を抱えていた平良市の市長から、島の救急医療を手伝って欲しいと相談があった。
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2021-10-15
救命救急を志して10年、医局人事で新宿の大学病院救命センター医長に戻ってからは患者さんの自宅へ行くことも無くなり、ただ救命することを目指してきた自分に理由無く物足りなさを感じるようになった。
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2021-09-16
外科医としての研修中、術後に亡くなった患者さんの位牌に手を合わせに行ったことがある。
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2021-07-19
東京女子医大救命救急センターの8床のICUは、常に満床に近かった。重症患者を受け入れるため、日々患者さんを一般病棟に移し、郊外の病院へ搬送したが、慢性疾患が増悪した高齢者は動かせないことがしばしばあった。不安定な病状や社会的な事情も原因だっ…
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2021-06-15
救命救急センターに勤務するうちに、何度も搬送され、集中治療の末に転院、退院を繰り返す患者が増えてきた。その多くが意識は無く、家族も心から助けて欲しいと望んでいない様に思えた。誰も希望しない延命を何度も繰り返すのは、救命救急センターでは日常で…
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2021-05-15
平成元年に医学部を卒業して、すぐに目指したのは救命救急医だった。当時は流行りのドラマもマンガもまだ無く、不人気な部門だった。権威とされた癌や人気だった移植の分野と違い、臓器別の専門領域が無かったからだ。
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2021-04-15
故郷宮古島で在宅医療を始めて約半年後、はじめて在宅患者を看取ることができた。
泰川恵吾|医療法人鳥伝白川会理事長 2021-03-11
故郷宮古島で離島へき地の在宅医療を始めて23年が過ぎた。当時は、大学病院から離島へき地へ行くのも在宅医療を主として開業するのも、極めて異例な事だった。宮古島は高齢化が進んだ地域だったが、それでも18%程度だった。公共交通機関がほとんど無い広…
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